7000人教会ビジョンによる導き

塩釜聖書バプテスト教会 牧師 大友 幸一

1984年の4月に東塩釜地区の開拓伝道に母教会より遣わされました。その時与えられたみことばが「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」(ローマ11:4)でした。ところが間もなく母教会の牧師は転任し、教会は弱体化し、開拓途上で母教会に戻らなければならなくなりました。その後、このみことばを忘れたまま、母教会の建て上げに集中するようになりました。弟子訓練のプログラムを取り入れ教会は祝福され古い会堂を1999年に建て替えました。その建て替え中に川崎廣師が私を東北地区の研修に招いてくださいました。その研修の中で今までうっすらと描いていた「7000人教会のビジョン」が確立しました。しかし、教会の成長はかんばしくなく、忍耐しながら信徒訓練を続けてまいりました。弟子訓練のゴールは派遣であるとの確信をいただいていましたが、それを具体的にどのように進めていけばよいのか思いあぐねていた時、千田次郎師にネットワークによる教会増殖のプログラムに招いていただき、4つの「家の教会」をスタートさせることが出来ました。

「家の教会」のモデルは聖書の使徒時代です。専門的な働き人や特別な集会所を必要としない「家の教会」が当時の地中海世界に多数、産まれたことによってその存在をローマ帝国は否定できなくなり、ついにはキリスト教を受け入れざるを得なくなったことは歴史が明らかにしていることです。7000人教会のカギはこの「家の教会」が握っているのではないかとの仮説を立て「家の教会」の研究を始めました。そして当教会のみならず宮城県において効果的な開拓伝道は「家の教会」を産み出すことだとの結論に導かれました。

私たちの教会の2010年度は4つの「家の教会」の自立に向かって開拓者たちの奉仕を見直し、「家の教会」中心になるよう体制を整えることでした。そして、この4月から実行しようとしていた矢先に東日本大震災が起こって2つの「家の教会」が津波で流されてしまったのです。どうして開拓伝道している家が流されたのか、一生懸命伝道していた人たちがこのような被害に遭ったのかは分かりませんが、開拓者たちはこの試練の中でもへこたれることなくますます宣教の使命に燃えています。亘理は6月には新しい家と70坪の駐車場を手に入れました。新興住宅地に住むことになった彼らは効果的な伝道を展開するために現在、町の様子や人間関係などを良く調べています。仙台港南は仮の住まいとして仙台市中心部のアパートに住んで今まで関係のあった求道者を支援物資を持参して訪問したり、月数回の集会を開いて「家の教会」を継続しています。

「家の教会」は建物によりません。家の教会は開拓者がいればいつでもどこでもスタートできます。今回の大震災は宮城県の海岸の町々村々に多大の被害をもたらしました。これまで教会が少なく省みられることのあまりなかったこの地に全国、いや全世界からたくさんのキリスト者、キリスト教会、様々な教団、いろんな団体が支援物資を届け、ボランティアを派遣してくださっています。その資金と労力は相当なものでしょう。そしてそれらは東北人の堅い心を開きつつあります。すでに福音を受け入れた人もいます。各地にそのような信仰の芽がめばえつつあります。間もなく何箇所でもそんなことが起こってくると予想できます。その場合、これまでの開拓伝道のように専門の働き人を雇い、集会の建物を準備してからではその時期を逃してしまうかもしれません。

それで宮城県をいくつかのブロックに分け、「家の教会」ネットワークによる教会形成が必要になってくると思われます。「家の教会」は既存の教会に人を集めるのではなく、現地で救われた人を教育し、その人の家に教会を産み出していくものです。そのためには救われた時から「あなたの家が教会になるのです。そしてあなたは近くにもうひとつ教会を産み出すのです。」と折にかなって教えていかなければなりません。また、「家の教会」はその小ささのゆえに孤独にならないようにネットワークを大切にし、できることなら近所に住むキリスト者、教会を決して無視しないように励まさなければなりません。

現在、宮城県内のプロテスタント教会は136教会、教会員数約6700名、礼拝出席者数約4000名です。7000人教会のビジョンをいただいた当教会がこのビジョンを達成するには先ずは宮城県内で7000名にならなければなりません。宮城バプテスト協議会には14教会(礼拝出席者数650名)が所属しています。協議会の中にはすでに20数名の伝道熱心な教会員が自分の家を開放して伝道の拠点にしたいと考えています。そのような人達と被災地で救われた人々がネットワークを組み、各地に「家の教会」をスタートさせるなら遠からず「家の教会」は既存の教会の数をしのぐものになるでしょう。

当教会のビジョンの始まりは開拓伝道者の個人的なものでしたがそれが教会のビジョンとなり、そのビジョンにより仙台市東部地域の超教派のグループ形成(ゴスペルファミリー、10教会)がなされ、大震災によって宮城県を覆うものに導かれてきました。7000人教会は先ずは宮城県全体で達成され次にゴスペルファミリーで達成され、最後に当教会で達成されるのです。

信徒主体の「家の教会」による開拓伝道は被災地でもっとも多くの魂を獲得する聖書的な方法ではないかと思います。

教会開拓と教会増殖に向けて主に従う
~使徒1:8から使徒8:1へ パラダイムシフト~

恵泉キリスト教会 牧師 千田次郎

主は言われました「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

しかし、初代教会は従えませんでした。そこで主は、「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。(使徒8:1)」大迫害をもって聖徒たちを各地に遣わし各地に教会を建て上げました

今こそ日本の教会は悔い改めて、出て行って福音を伝え、そこで信じた人を建て上げて、その人の信仰の上に教会を建て上げて行く時です。町にも村にも、漁村にも・・・・あらゆる地域に教会が必要です。今回の大震災は、このことを私たちに教えてくれております。宣教の現場で主の弟子を育て、その地に家の教会を次々と生み出し、ネットワークにおいて一つとして前進して行く必要があります。

初代教会は迫害で散らされ遣わされましたが、現在の日本では就職、進学、転勤・・・等々で福音は広がって行きます。日本における主の宣教の方策です。そして今回は大震災によって、多くのキリスト者が支援活動を展開し、主はそこに救われる魂を起こして下さっておられます。その人たちを遠い既存の教会に加えるのではなく、その地に家の教会を建て上げ、その地を主の御名によって祝福して行く必要があります。そうするならば多くの教会が生みだされます。お金は弟子の育成による教会増殖とその地を主の御心に沿った繁栄へと導くために用いられて行くべきです。主の弟子の育成に力を注ぎます。そのためにはバルナバが必要です。主の大いなる御業を拝してまいりましょう。

こうしてコンビニの数ほどの教会を生み出しましょう。

聖徒は派遣されるために生まれ、育成される これなしにリバイバルはない
~被災地でいま起きている証しの一例~

栗原聖書バプテスト教会 牧師 岸浪市夫

「教会と出会ってから、本当に変わったよ…。」

これは、今回、四人の人から言われた言葉である。そうしたら、そばにいた一人の主婦の方が、「私だってそうだよ」と、五番目の声を上げてくれた。

初めに話しをして下さったのは、気仙沼市本吉町の蔵内に住む三浦さんだった。5月20日に三浦さんの家でコンサートをした時「俺の家にこんなに人が来て、 こんなに嬉しい日を迎える事が出来るなんて、俺は考えてもいなかった。本当に嬉しい、こんなに皆さんに良くして貰って良いのかなって思う。俺は、今回、災害にあって本当に良かった。沢山の人々と出会って、力を貰って、こんなに嬉しい事はないね…」

同じような事を奥様からも話された事があった。ある時の昼食の時に言われた。「私ね、この津波が来た時から今日まで、これからどうやって生きて行ったら良 いんだろうかと、毎日考えていたんですよ。毎日ここに来て、下ばっかり向いて、何んにも力が出なかった…。うちの人も、ここに来ては、少し片付けをすると下ばっかり向いて、本当に何んにも力が出なかった。そこに、岸浪さんたち教会の人達が来てくれたんですよ。本当に力になったんですよ。今まで、災害がある と、物資だの援助だのとよく話しを聞いたけど、心のケアなんて必要があるのかと思っていた…。でも、自分がこんな災害にあって見ると、如何に心のケアって 大切なものかが分かった。本当に皆さんから力を貰ったんですよ」と語ってくれた。下向きで語って下さった奥様の話に、私は不思議な神様の導きと、人を愛し ている神様の心が分かった気がした。

そこに、旦那さんが入って来て、出会った時の感想を話し始めた。「俺は本当に皆さんから力を貰ったよ、有りがたかった。教会の人と出会って本当に俺の人生 変わった。あの頃は、俺は何にも力が出なくて、下しか見られなかったもんな…。そして、何か必要な物は無いですかって言われても、遠慮して何んにも言えな かった…。それでも、俺も甘えて見ようかなと思ったんだ。俺は、嬉しかった…、教会の皆と出会えて、本当に力もらったよ、教会の人と出会うと、初めての人なのに、昔からの知り合いの様な気がしてくるんだよな…。あんた達の神様は凄い神様だな…。俺は本当に嬉しいよ」いつも、いつも私達と会うと、三浦さんは 出会った当時の事を何回も言う。そして、もう一度船を買い、今回、再起をかけて北海道で整備を受けるために出発してゆく。そのお祝いをして上げたい…、そ う言う動機で、今回の三浦宅でのコンサートを企画したのだった。

勿論、ホープジャパンやサマリタンズパース、そして、東北応援団ラブイーストの皆さんの応援、そして、私達の保守バプテスト同盟の諸先生方にも協力して頂 いた。船を流され、家を全壊し、命からがら助かったとんでもない災害を、三浦さんは今「良かった」と言って下さる。神様の愛と、皆さんの心の込もった愛の 贈り物で、三浦さんとその家族の心が「俺、災害に出会って本当に良かった。こんなにも沢山の皆さんとと出会えて、そして、神様と出会えて、本当に良かっ た」と語られる…。「俺、本当にやるからね、必ず、俺のサンマを教会のみなさんに喰わせっからね…」と立ち上がる三浦さんを見ると、この姿に神様がこの人々を愛している事が伝わってくる。遠くシンガポールから来て下さった皆さんの愛、そして南アフリカのスティーブンさんとその教会の皆さんの愛…。また、マレーシアの皆さん、アメリカの皆さん、又、酒田や沢山の教会の皆さんの愛…。その愛がなければ、三浦さん家族は立ち上がれなかったと思います。何と大き な神様の愛を伝える事が出来たんだろうと思いました。

こんな大きな愛の届け役を、私の様な者に与えて下さった神様に心から感謝したいと思います。これからも、私達の働きに、暖かいご支援とお祈りをお願いいたします。

栄光在主